旭化成株式会社では、2016年頃からさまざまな事業・業務でデジタル導入に取り組んでおり、2020年からは全社規模でのDX推進に向けた取り組みを進めています。2021年5月に策定された「Asahi Kasei DX Vision 2030」に基づいて描かれた「デジタル変革のロードマップ」では、2024年以降を「デジタルノーマル期」と位置付け、全従業員がデジタル技術を活用のマインドセットで働くことを目指しています。
その陣頭指揮にあたる同社のデジタル共創本部では、社内のDX人材を育成する機関として今まさに試行錯誤の挑戦を続けています。今回は、デジタル共創本部の西野氏に、全社的なDX人材の育成に取り組む経緯や苦悩の日々を伺いました。
西野 大介 氏
旭化成株式会社 デジタル共創本部 DX経営推進センター
デジタルタレント戦略部 企画推進グループ グループ長 / 高度専門職(デジタルイノベーション)
大手保険会社に勤めた後、2023年1月に旭化成株式会社に入社。組織横断で、デジタルを活用した新規事業や業務革新の支援業務に従事。2024年9月から現職。
デジタルの力で日本の底上げに貢献したい
――西野さんは転職で旭化成株式会社に入社されたそうですが、その背景にはどのような想いがあったのでしょうか。
私は前職で金融系の企業に勤めていました。金融で扱うサービスは本質的に実体がなく、それはソフトウェアと同一と言えると考えており、すなわちデジタル化の対象になりやすいものです。それも面白いのですが、これからはデジタル以上にフィジカルの時代だなと思っていました。ITブームは何度も起こっていますが、近年ではシリコンバレーの隆盛を皮切りにしたデジタルの潮流があり、それがある時期にデジタルの一時代を作りました。一方で、日本を支えているのはいつの時代も変わらず製造業であり、そこに従事する方たちが日本を形作ってきたと考えています。この事実は、ある時他国が華やかな技術で目覚ましいソリューションを作り、日本を含めた全世界で急速な流行を生み出したとしても、これまでも、今後も、変わらないものです。
私が今まで培ったデジタルの力を使って、何か面白いことをやるにはどうするかを考えた時に、同じようなソフトウェア主体の業界でやるよりも、製造業の方がきっとより創出価値の大きな面白いことができて、日本の底上げに貢献できるのではないかと思いました。その中でも特に、旭化成は様々な事業をやっていることから一番面白いのではないかと思い入社しました。
製造業にプロジェクト管理手法を導入する。製造業ならではの難しさ
――これまでに西野さんはどのような業務に取り組まれてきたのでしょうか。
主にアジャイルやスクラムと呼ばれるプロジェクト管理の手法を用いた新規事業づくりの支援を行なってきました。あるプロジェクトでは深く入り込んでそれらを導入し推進しながら、また別のプロジェクトではコーチとして後方支援にまわるなど、様々な形式でアジャイルやスクラムの仕組みを提供しながらうまくいくようにマネジメントしていました。また、オープンバッジの研修コンテンツとしてアジャイルとスクラムに関するカリキュラムの制作も行なっています。
――ものづくりはウォーターフォール型のような、時間かけて作るイメージがあるのですが、どのようにアジャイルやスクラムを組み込んで行ったのでしょうか?
時間をかけて作るという点は確かにおっしゃる通りです。それぞれの事業・プロジェクトによってやっていることは全く異なるのですが、工場など大きなハードが関わる分野は、特にアジャイルの適用についてソフトウェアに比べて制約が多く、一朝一夕にいかない部分があります。一方で、ヘルスケア事業のでは、例えば製品に付随するソフトウェアを作るプロジェクトがあり、その場合は工場などと比較すればアジャイルを適用しやすい部分はあるのですが、それでも医療機器ならではの制約により通常のアプリ開発などとは異なる難しさがあります。ただ導入できるところは少なからずありますので、比較的導入しやすく効果が大きいところから、全体の仕組みを適用して、プロジェクト運営で使えるようにするという工夫をしています。
「統制」と「裁量」の棲み分けを判断する難しさ
――実際に取り組んでみて大変だったことは何でしょうか?
私が最初に所属した部署は、中途社員がとても多い組織でした。プロパー社員ももちろん所属しており、皆さんとても優秀な方々でした。過去に見てきた業界では、デジタル部門において中途社員とプロパーに隔たりがある組織も見られました。組織によっては専門的な部分は中途社員が主導することが常態化しているケースもありましたが、当社の組織はプロパー社員と中途社員の区別なく個々人が役割を発揮してデジタルプロジェクトを遂行していたことに驚きを感じました。
ただ、それ故の壁もありました。一人一人が優秀で1つのプロジェクトを回せるのですが、優秀であるが故に自己流の手法でやっている部分が存在したことです。社員それぞれがバラバラのやり方をしていたためにノウハウを共有できない、共有が仕組み化されていませんでした。また、プロジェクト計画の作成方法などもまちまちな部分があり、その結果管理職が横断的に妥当性のある判断をしにくいという課題がありました。
――その状況を改善するためにどのようなことに取り組まれたのでしょうか?
改めて、「新規事業開発やプロジェクト開発における普遍的な要素は何か」を整理しました。世の中にある事例と会社の現状を比較してどうあるべきかを考え、一般的な価値と当社ならではの価値を組み合わせたものを成果物の形に落とし込みました。例えば、プロジェクト計画ではそれに適したテンプレートを作成しました。プロジェクト運営についても同様で、皆さんが早く無駄なくプロジェクト遂行できる仕組みとマニュアルを作りました。マニュアルには、例えば、アジャイルにおける専門用語で「スクラムイベント」と呼ばれるような会議体の進行の仕方や、プロジェクト運営に必要な要素を集めるステップとテンプレートをまとめました。
テンプレートといっても、開発標準のようなガチガチに固まったものを作ってしまうと、独自でやっていた今までのやり方より生産性を落としてしまうという結果になりかねません。「皆さんが早く動けるためのもの」とすることを重視して標準となる計画書のフォーマットに落とし込みました。完全に統制をとってきれいにしようとしてしまうと本末転倒なので、どこまでをテンプレートにしどこから自由にするのか、その判断は慎重に行いました。
こだわるのは、価値あるスキルを身につけてほしいから
――貴社でアジャイルなどのマネジメント手法を導入する際はどのような工夫があるのでしょうか。
単に、「こういう考え方が良いよ」などと概括的な話をするだけでは絶対に浸透しないので、利用者に寄り添って仕組みを作り、チームのケイパビリティに合わせたサポートをしています。例えば、完全にチームに入り込んで一緒に取り組みながら浸透させたり、アジャイルコーチがアジャイルの進め方などをコーチングしてサポートしたりしています。
私としては、手法の浸透は「こだわりの世界」だと思っています。どれだけこだわってきちんと調べて成果物を作ったかは、他に有識者がいればわかるかもしれませんが、そうでなければ基本的には手を抜いても気づかれないケースも多くあります。そうすると、自分の中のこだわりの勝負であり、本当に価値があると自分が納得したものを提供することになります。ただ、提供したものが有効かどうかは、取り組み当初は誰もわかりませんが、徐々に効果が出てくるので、最終的には手を抜いたかはわかります。価値を出すことにきちんとこだわり、短期的な評価だけではなく長期的に役立つことを意識して良いものを一生懸命作る。標準化や人材育成、研修はこの意識で取り組んでいます。
――アジャイルを浸透させるための意識的な工夫があるのですね。実際にはどのような取り組みにつながっているのでしょうか。
そうですね。社内研修だと、研修コンテンツを作って提供するのはもちろんですが、それだけではなく集客にも取り組んでいます。どんなプロダクトでもそうですが「良いものを作ったら売れる」とは限りません。社内向けの研修も同じで、作ったらそれがどれだけ良いものかを分かるような形にして伝えなければいけません。地道に各工場や事業部門などを訪問して社内営業のような取り組みをすることもそうです。他にも、例えば社内で説明会を行う場合のチラシも、パワポでなんとなく作った告知文章ではなく、世間一般の有償イベントに負けないフライヤーを作っています。「なんかすごい外部講演かと思ったら、社内の人だった」みたいなもので集客できたら良いですよね。今後もアジャイルを絡めたイベントをやっていきたいなと考えています。
また、自分自身がどんどん社外出ていって、メディアに露出することで「アジャイルを詳しく知っている人なんだな」とか、「この人の研修なら聞いてみたいな」と思っていただけるような研修講師としての価値向上も常に心がけています。
自分のこだわりとチームワークでより良いものへ
――最後に、西野さんがDXの取り組みを進めるうえで大切にされていることを教えてください。
大切にしていることは、やはり「こだわる」ことですね。前職でも同じように研修を作っていた時期があるのですが、ある時ふとメンバーから「ここまでこだわる意味あるんですか?」というようなコメントがあったことがあり、それがとても印象に残っています。批判的な意図のコメントではなく、「ずっと本質的な価値を追求してコンテンツを作ってきたけど、こんなにこだわっても半年後に自分が何やっていたか覚えていないんですよね」と感想のように呟いていたものです。確かにそうだな、と思い、私はなぜこだわるべきだと考えているんだろう、と考え続けていたのですが、その時にこだわったからこそ、今その経験を生かし、会社を飛躍させられるような価値の高いコンテンツを作ることができているという実感があります。このような経験から、私はこだわることには価値があると確信できましたので、引き続きしっかりこだわって自分が納得する品質のものを作っています。
それと同時に、独りよがりにはならないようにしています。こだわり出すとつい自分ひとりで進めてしまったり、こだわりを超えた無用な執着も通そうとしてしまったりしがちですが、チームの皆さんそれぞれが自分に無いものを持っていますので、全員の能力を活かさなければ真に価値のあるプロダクトは生み出せません。自分のこだわりを活かすこと、チームの良さを引き出しながら力を合わせていくこと、これらの両立がより価値の高いものを生み出すということは、今後も意識していきたいと思います。
最後に
今回は、旭化成株式会社の西野様にお話を伺いました。製造業に対する想いやソフトウェア業界から転職された背景をはじめ、西野様の「本当に価値のあるものを提供する」という信念は私自身も大切にしたい考え方だと感じた取材になりました。