その信念は、宇宙を駆ける。

小惑星探査機「はやぶさ2」のネジを手がける企業。埼玉県・羽生市から、一躍その名を世に知らしめたキットセイコー。その経営には、他社にはない独自の信念があった。独自の事業戦略が人材のモチベーションを高め、エンゲージメントを生み、一人ひとりが楽しく、いきいきと仕事に向き合うことができる。同社の経営の真髄を田辺弘栄社長に聞く。

会社概要

株式会社キットセイコー

コーポレートサイトhttp://www.kitseiko.co.jp/
代表者代表取締役 田辺 弘栄
設立1940年2月15日
資本金1200万円
本社〒348-0025 埼玉県羽生市大字上手子林280
事業内容特殊ネジの製造・販売
資格・認証埼玉県働き方改革『ベストプラクティス企業』
埼玉県シニア活躍推進宣言企業

代表取締役 田辺 弘栄 / Koei

株式会社キットセイコー 代表取締役
大学卒業後、2年間他社企業に勤めた後同社に入社。3代目として会社を牽引する。

企業プロフィール

今、自分がやるしかない。

——まずは、貴社のプロフィールを教えてください。

田辺 キットセイコーの創業は1940年。金属切削加工を主に、真鍮、アルミ、鉄、ステンレス、銅、チタンなどの加工を行なってきました。少量多品種生産を強みに、納期、品質、コストに自信を持って、各種部品を製作しています。中でも当社のネジは品質、精度、耐久性において高く評価され、人工衛星・原子力・鉄道信号・半導体部品などさまざまなシーンで使用されています。

——創業者であるお爺さまから、そのバトンはお父様へと託され、田辺社長は3代目になります。自分が会社を継ぐという意思は強かったのでしょうか。

田辺 工場が自宅に併設されていたこともあって、幼いころから現場を見て育ちました。ただ、なんとなく「いつかは、会社を継ぐのだろう」とは思ってはいたものの、大学を卒業してすぐに家業に入ることは考えていなかったんですよ。進路として考えていたのは、家電メーカー。正直に言えば、「経験を積んでから、戻ってくればいい」という程度の気持ちだったんです。

——それは、意外ですね。ただ、田辺社長は他企業での2年間の技術修行を経て、若いうちからキットセイコーに入社することになります。

田辺 きっかけは大学時代に、キットセイコーでアルバイトをしたことでした。大学を卒業してすぐに就職するのではなく、2年ほど海外を放浪しようと思ったんです。そのための資金稼ぎですね。ところが、職場を見てみると、社員は50代のベテラン職人ばかり。20代・30代の若い人材はひとりもいないわけです。「いつか戻ってくればいい」という甘えが、「いつかを待っていては、会社がなくなってしまう」という危機感に変わりました。会社を長く続けていくためには、今、自分がやるしかない。そんな想いが芽生えて、そのタイミングで海外をめぐることはあきらめました。まあ、それはこれからでも実現できると思っているんですけどね(笑)。

キットセイコーの「宇宙ネジ」

宇宙品質は、1970年から続く。

——貴社の名が、一躍世に知られることになったのは2011年。「はやぶさ」へのネジ供給が大きな話題となりましたね。

田辺 そうですね。ただ、その時に初めて採用されたというわけではないんですよ。JAXAが部品供給メーカーを公表したのが、「はやぶさ」の時が初めてだったというだけで。1970年に日本で最初に打ち上げられた人工衛星「おおすみ」にも当社の製品は採用されていますし、天気予報でおなじみの「ひまわり」なども同様です。取引自体はずっと続けさせていただいているかたちですね。

——世間のイメージには大きな誤解があったのですね。では、人工衛星に用いられるネジには、どのような技術的特徴があるのでしょうか。

田辺 人工衛星の打ち上げは、重量によって予算が大きく変わります。だから、まずは軽量であること。そして、打ち上げた後はメンテナンスもできませんから、耐久性と精緻な加工が求められます。たとえば、ほんの僅かでもバリが出てしまえば、その破片が飛び、機器を故障させてしまうことも考えられるわけです。軽くて丈夫なチタン合金をより精緻に加工していく。求められる品質に当社の強みが大きく活かされているんです。

——宇宙品質のものづくりを手がけている。社員の皆さんも確かな誇りを持っていたのでしょうね。

田辺 正直、自分たちがしている仕事が「すごいもの」だとは思っていなかったんですよ。かつては自動車産業や家電産業が隆盛を極めていました。だから、スカイラインやクラウンに使われていると言われた方がよほど「すごいね!」となるわけです。近隣の皆さんも「何のネジをつくっているの? ひまわり? ふーん……」みたいな反応でしたし、実際に宇宙ネジをつくっている職人さんたちも「実はすごいことしていたんだな」と報道を受けてから気づいたくらいですから(笑)。

——貴社について知らない人たちは、どうしても『下町ロケット』の世界を想像しますよね。ただ、現実は……。

田辺 そこまでドラマチックではありませんよね。実際、ドラマの番宣番組で取材を打診されたこともあったのですが、ドラマチックなエピソードがなさすぎて、結局、断ることになってしまったんです。資金繰りに苦労したとか、社員の反発があったとか……。わかりやすい困難は、ほとんどありませんでしたから。

キットセイコーの事業戦略

ネジに特化し、「硬い」「ねばい」を可視化する?

——ここからは、事業戦略について伺います。多くのメーカーが、なるべく小さな工数で、大量につくり、売るという方針に走る中で、「少量多品種生産」という独自の道を貫き続けています。

田辺 確かにそちらの方が儲かりますし、企業規模を拡大していくには近道なのでしょう。私自身、入社したばかりのころは、「なぜ、大量生産しないのか」と疑問を持っていたくらいです。しかし、「会社を長く存続させる」「企業としての独自性を磨く」ということを考えると、それが正解ではなくなります。創業者である祖父は、「『面倒見のいい会社』をお客様に、期待に応え続けていける存在であろう」と言い続けていたそうです。大量生産の案件って、仕様だけ伝えられて、打ち合わせもろくにしないというケースがほとんどなんですよ。そこで、自分たちの強みを見いだそうとしても、コストダウンやスピードくらいしか違いは出せない。そうすると、企業はどんどん疲弊していきますよね。さらに、大量生産に走ると、企業の中に技術・知見が蓄積しませんし、景気の影響を受けやすいデメリットもあります。景気が悪くなって、仕事が減る。じゃあ、小ロットをやろうとしてもそのノウハウがない。そうなっては打つ手がなくなってしまいますからね。

——ネジに特化していることも、貴社の独自性を磨くことにつながっていますね。

田辺 金属切削加工メーカーで「少量多品種生産」を謳っている会社は、基本的に「どんなに複雑な形状でもできますよ」という点をアピールします。展示会などに行くと、それが本当によくわかりますよ。どこもかしこも、複雑な形状の製品をいくつも並べていますから。ただ、それってNC旋盤さえ持っていれば、どんな企業でもできるわけですよ。お客様もそれを知っていますから、アピールポイントにはならないんです。そこで、キットセイコーではネジに特化して、さまざまなニーズに応えられることをアピールしています。当社には、さまざまな分野に対応してきた実績がありますからね。ここは大きな差別化になっているのではないでしょうか。

——そのネジの材質にも大きなこだわりがあるようですね。

田辺 私が着目したのは、「特殊な素材に対して、どう科学的なアプローチをしていくか」です。用途や目的に合わせて、特殊な素材を用いる。その加工の際は旋盤のスピードなどを技術者の勘とコツで調整していくのですが、それでは自社の強みを言語化し、アピールすることはできません。実際に取り組んだのは、材料工学の視点から、材料の特徴と加工方法を可視化すること。それらをノウハウとすることで、キットセイコーの強みや技術の解像度が上がったと思っています。知識としては大学で学ぶ初歩的なところなのですが、実際の作業はかなりの苦労が伴いました。職人さんに材質の特徴を聞きに行くと、「硬い」「ねばい」としか言わないんですから(笑)。

キットセイコーの組織・人事戦略

一人ひとりの夢に、人生に寄り添う。

——「少量多品種生産」「ネジへの特化」「材質へのこだわり」といった方針が貴社の存在感を明確にし、ユニークな仕事が多く舞い込む。人工衛星・原子力・鉄道信号・半導体部品・F1といった貴社の実績がそれを裏付けています。仕事をしているメンバーのやりがいも違ったものになりそうです。

田辺 とはいえ、仕事は大変なものです。目の前の仕事量に目を奪われ、仕事が作業になってしまう危険性は常にはらんでいると言えます。だからこそ、キットセイコーでは組織や風土づくりに関するさまざまな取り組みを実践しています。とくに心がけているのがメンバーの「ゆとり」をつくること。かつては、とにかく仕事を詰め込んでいたのですが、現在は80%から90%くらいの仕事量で留めるようにしているんです。自分に余裕がなければ、人が困っているときに手伝おうとはしないもの。一人ひとりにゆとりを持たせることで、互いを思いやり、支え合う風土が生まれ、結果として生産性も向上しました。トップダウンで「とにかく、やれ」と生産性を高めている企業もあるでしょうが、得てして現場は疲弊しているものです。そんな場所で仕事をしたいと思う人はいませんよ。

工場内のレストルーム。ビリヤード台やトレーニングマシンなどが設置されている。

——「ゆとり」が生産性と組織のモチベーションにつながる。これも逆転の発想ですね。貴社では「夢マップ」という独自の取り組みを実践しているそうですね。

田辺 「夢マップ」は、ニッチな事業を展開する当社ならではの取り組みです。「ディズニーランドのアトラクションに使われるネジをつくりたい」「大好きなスカイラインに採用されたい」といった個々の夢を貼りだして、実現したときにそれを塗りつぶしていきます。これを始めるきっかけとなったのは、せっかく営業担当が仕事を取ってきたのに、「また仕事が増えた」「残業しなきゃ」といった声やため息が多かったこと。現場の気持ちもわかりますが、営業からするとツラいですよね。会社のために、みんなのために仕事を取ってきたのに、それが悪いことのように見られてしまうのですから。取ってきた仕事が、みんながやりたいことなら、叶えたい夢だと言うのなら、そんな軋轢も生まれないと考えたんです。

——現場のあるあるを放っておかない。とても大切なことですよね。

田辺 現場にありがちなシーンに、組織改善のヒントはいくらでも転がっていると思っています。かつて、製造サイクルの中で「不良」を見つけた時に、それを嫌がられる雰囲気があったのですが、「ベストストッパー賞」というプライズを設け、見つけた人を賞賛する機会をつくることで、現場の常識は大きく変わりました。「不良を見つけることは手間を増やすことではない、素晴らしいことなんだ」という認識がしっかりと芽生えていったんです。

——さまざまな取り組みを経て、よりよい組織を実現していく。田辺社長が考える、理想の会社とはどういうものなのでしょう。

田辺 私はキットセイコーを「一人ひとりの人生に寄り添える会社」にしたいと考えています。私自身、この会社に入社したてのころは「この会社を長く存続させたい」という私の想いを周囲に押しつけることが多く、採用や組織づくりに失敗してきた経緯があります。けれど、それはあくまで私の想いであり、すべての人が同じなのではありません。会社はそのすべてに寄り添える存在であるべきです。「とにかくバリバリ仕事がしたい」「プライベートも充実させたい」「とにかく楽しみたい」。会社や仕事に求められるものはきわめて多様であり、それは今後10年、20年で大きく変わっていくことになります。今、そして、これからを担うメンバーたちに「居心地がいいな」「この会社にいられてラッキーだな」と思ってもらえるような場所をつくっていきたいですね。

編集者 まとめ

——独自の事業戦略と文化づくりによって、キットセイコーは宇宙品質のものづくりを継続してきました。「他社がやっているからやる」のではなく、「会社を長く存続させる」ため、そして「従業員にとって幸せな環境を作る」ためという明確な判断基準がありました。

中長期的に企業を存続させる事業戦略と風土づくりを模索されている方にとって、参考になるメッセージがあると思います。

自社の判断基準は、明確になっているでしょうか。またその判断基準と現状の施策に一貫性はありますか。これまで事業が継続してこられたからには、社会に貢献できている判断基準があるはずです。いま一度立ち止まって、見つめ直す時間を設けてみてはいかがでしょうか。

写真撮影:Watariクリエイトワークス 伊藤唯花